お茶うけに占い

ど素人が占いの世界を覗きみる。

占いというフレームワーク

胡散臭いと思いながらも、何となく気にしてしまう。
「占い」には、何かそういう不思議な魅力があるような気がします。
それは、「占い」が語る世界に、身に覚えのある価値観や考え方が垣間見えるせいかもしれません。

数年前にぼちぼち西洋占星術ホロスコープの世界を学ぶようになってから、自分の「ものの見方」が鍛えられてきました。
「自分なりの考え」を、ときに新しい言葉をつくりだしてまで理論立ててつきつめる学問を「哲学」というようですが、ホロスコープにも似たようなところを感じます。
ホロスコープには独特の文法があり、「天体」や「星座」は物事のありようを語るためのかりそめの単語として機能しています。
そうした文法や単語をどうにか駆使して、自分に見える世界を語ろうと試みるうちに、「自分なりの感じ方」をつきつめることができるのです。

その過程で、これまでたくさんの先人が感じてきた価値観や、その考え方と自分の考え方の似ているところ、似ていないところが垣間見えて、「自分」というアイデンティティが見えてくるように思います。

私が「占い」を知りたいと思うようになったのは、「自分」というものへの迷いがたくさんあったからです。
占いの中に答えや目標を見つけたくて分け入ってみたら、そこには自力で考えるための道具だけが用意されていて、半信半疑でそれをこねくり回すうちに、答えが自分の中にきちんとあることに気付いた――そんな感じです。

正直なところ、「占いで未来を予想する」というのは未だにピンとこないのですが、「占いは価値観を育ててくれる」というのは本当だと思います。
占いの文法を理解する価値観が育ってくると、現実のできごとを占いの文法で解釈できるようになり、そういう目でホロスコープのチャートをみると、なぜかドンピシャな星の配置を見つけてしまうのです。

このブログでは、ホロスコープの象徴をどう解釈するのか、また、その象徴を感じる現実の出来事をどう考え、どう対処するのか――といった「現実を解釈するための価値観を育てる」ことに重きを置いて、記事を更新していこうと思います。